2015年8月21日 今日のみ言

私たちが若いときには、死についてあまり考えませんが、年を取るほど私たちは死について徐々に深刻になります。ここに座っている皆さんも、この場に立っているレバレンド・ムーンも、いつかは死ぬようになっています。このように死というものは、運命の関門です。誰も避けられない道だからです。私たちが死んだのちには、果たしてどうなるのでしょうか。死という言葉を使った目的が何であるか御存じですか。生の意味を知らせるためです。生の価値は誰がよく知っていますか。生きようと身もだえする人は分かりません。死ぬ境地に入り、生死の岐路で天にすがり、生の価値を打診したことのある人でなければ分からないのです。(平和経p484)

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