神様のみ前に一人で立つことができるかという問題を考えるとき、真と善は自分から始まって自分で終わるのではありません。自分から始まって人に結果を結ばせるか、人によって始まり、自分に結果をもたらすことができてこそ、善になるのです。聖賢が行く道と凡人が行く道は違います。聖賢は歴史と共に生きようとし、世界と共に生きようとし、未来と共に生きようとした人です。しかし凡人は自分によって生きようとし、世界も自分のためにあるようにした人です。(平和経p494)
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