2015年7月3日 今日のみ言

一九五八年、甲寺 (忠清南道の鶏龍山にある) の裏山に崔奉春を呼んで、私は言いました。「おまえは、今すぐ玄界灘を渡っていかなければならない。勝利するまで戻ってくることはできない」

崔奉春は決死の覚悟で密航船に乗り込みました。私は、彼が無事に海を渡ったと知らせてくるまで、他のことは一切せず、小さな部屋に籠もって座り、ひたすら祈り続けました。何も食ベず、寝ることもしませんでした。彼を送り出すのに必要な資金百五十万圜は、借金をして充てました。満足にご飯を食べられない信徒が大勢いる中で、大金を借りてでも彼を送ったのは、それだけ日本宣教が急を要することだったからです。

生きるか死ぬかの苦労を一年半ほど続けた末に、崔奉春が日本に教会を創立したのは一九五九年十月のことでした。崔奉春の犠牲によって宣教師の派遣に成功した後、日本教会は久保木修己という優れた青年指導者を得て、彼と彼に付き従う若者たちによって、しっかりと根を下ろしました。(平和を愛する世界人としてp167)

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