「どの村でも、暮らし向きがいい人もいれば悪い人もいました。貧しい友達が弁当に粟飯を包んでくるのを見ると、やるせなくて自分のご飯が食べられず、友達の粟飯と交換して食べました。私は、裕福で大きな家に住む子供よりは、生活が苦しくてご飯を食べられない子供とより親しかったし、何としてでもその子の空腹の問題を解決しようとしました。それこそが私の一番好きな遊びだったからです。年齢は幼くても、すべての人の友達に、いや、友達以上にもっと心の奥深くでつながった人にならなければならないと思いました。」(平和を愛する世界人としてp26)