ある日、目の前にイエス様が現れて、涙を流して去っていく姿を見ました。ふと嫌な予感がして、「みんな、私から十ニメートル以上離れるな!」と告げたところ、それからいくらも経たずに爆撃があり、直径十ニメートル以内は神様が守ってくださると知っていたので、私の近くにいた囚人たちは辛うじて命拾いしました。~爆撃が激しくなると、看守は囚人を処刑し始めました。量刑の重い囚人が先に呼ばれていました。じっと数えてみると、次の日は私の番でした。ところが、まさにその時、処刑を翌日に控えた一九五〇年十月十三日、三八度線を越えた韓国軍と国連軍が興南に押し上がってきたのです。夜中の二時ごろ、私は他の囚人たちと共に、堂々と歩いて興南監獄を出てきました。監獄から私に付いてきた者たちと一緒に、故郷ではなく平壌に向かいました。故郷で私の心配をして、泣いて月日を送っている母の姿が目に浮かびましたが、平壌に残っている信徒たちをまとめるのが先でした。(平和を愛する世界人としてp121)