五山学校は家から二十里(約八キロメートル)も離れた所にあります。しかし、私は一日も休まず、毎日決まった時間に歩いて行きました。五山学校は独立運動家である李昇薫先生が建てた民族学校です。日本語を教えないだけでなく、初めから日本語を使えないようにしました。しかし、私の考えは少し違っていて、敵を知ってこそ敵に勝つことができると考えました。それで、再び編入試験を受けて、今度は定州公立普通学校四学年に入りました。公立学校の授業はすべて日本語です。初登校の前夜、辛うじて片仮名と平仮名だけを覚えて登校しました。それでも、日本語が全然できなくて困り、一学年から四学年までの教科書を十五日以内に全部覚えました。そうやって初めて耳が通じたのです。(平和を愛する世界人としてp55)