私が平壌から出てくるとき、わずか一時間ほど行けば両親に会うことができましたが、駆けつけることができませんでした。両親が死の道を行っても、かかわることのできない道、他の氏族を探していくべき運命の道を出発し、南韓に下ってくるようになったのです。誰よりも私を愛したお母さんと、誰よりも私を愛したそのお兄さん、お姉さんたちが、共産治下で犠牲になっていったと見ています。私が愛する家族を捨て、血族を捨て、出会おうと言った人々が皆さんです。(祝福家庭と理想天国)
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