信仰生活は副業ではありません。本業の中の本業です。人に会っても、「私」が会うその人に今、み言を伝えなければ、その人が帰る途中でどうなるか分からないのです。その人がほかの人でなく、自分の父母や兄や姉だと考えなければなりません。機会を逃したときは、「み言を伝えなければならないのに、私が忙しくて申し訳ない。いつかもう一度会いましょう」と挨拶だけでもして、条件を残していかなければならないのです。(天聖経p886,4番)
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