個人の信仰は、いい指導者に出会いさえすればいいのです。しかし、家庭では、互いに指導者とならなければなりません。家庭は、誰のため、何のために生きるかが問題です。独りのときは、祈ればすべてのことがうまくいきました。しかし、家庭では、反対する人がいれば、その十字架を背負って本然の基準まで貫いていかなければなりません。個人は客車と同じであり、家庭は機関車と同じです。個人が失敗したものを復帰するのは簡単です。しかし、家庭的に失敗すれば破綻なのです。(天聖経p1215、12番)
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