私たちは、私たち自体を歴史的な復活の実体として運行できるようにしなければなりません。七十年、八十年の一生を自分のために生きるのではなく、摂理のみ旨から見て、永生の路程を経て発展できるみ旨の立ててきたのが神様の摂理なので、そのみ旨と共に生きなければならないというのです。「私が生きるのは、み旨を現すためであり、み旨のために生きることなので、み旨が行く道は、私の生命の延長であり、私の理念の延長であり、私の生活の延長だ」と称賛できる人格を中心として、生活舞台をどのように広げるか、ということが重要な問題なのです。(天聖経p936、7番)