世間は、私が捕まって刑務所に行けば、教会は潰れて、信徒たちはすぐにばらばらになって去っていくとばかり思っていましたが、そうはなりませんでした。収監されている問、毎日、信徒たちの誰も彼もが私に面会に来ました。面会の順番をめぐって争うことさえありました。面会時間は朝の八時からです。それなのに、彼らは明け方から刑務所の塀の所に並んで待っていました。人々が私の悪口を言えば言うほど、私が寂しければ寂しいほど、私を慰労し、私のために涙を流す人も、次第に多くなりました。私が言葉巧みに話すから私を慕うのではありません。私の心の深い所にある愛を知ったがゆえに慕うのです。彼らは私の真実の心を理解してくれました。手錠をかけられて裁判を受けに行く時、私を捜してあちこち歩き回った信徒たちを死んでも忘れることができません。被告席に座った私の姿を見てしくしく泣いたその顔は、いつも私の記憶の中にあります。(平和を愛する世界人としてp242)