日本の地は怨讐ではありますが、今後私が誰よりも日本を愛することによって、アジアで神様のみ旨を展開することができる相対的基準になるのです。そうでなければ主体国の前に、相対的国家を見つけることができないというのです。 我々のみ旨が世界的なものであるならば、隣の国日本にも果たすべき責任があり、様々な国にも果たすべき責任があるのです。ゆえに我々は、受難の道をたどりながらでも世界に宣教師を送らなければならないのです。しかし世界的な責任を果たす時においても、食べる物が余るとか、お金が余るとか、そのように余裕があってするのではありません。貧しく困難な中でするのです。(真の御父母様の生涯路程 3 第五節海外宣教師派遣)