2014年1月12日 今日のみ言

信仰は、あくまでも実践のための動機を備えるのに必要なものです。ですから、聖書は、天国がどこにあるのかというとき、天国は信じるところにあるとは教えませんでした。「私にある」という言葉は、主体的立場が相対的世界にかかっているという意味ではありません。主体的な内容を自分が決めればならないということです。それを決定できる動機が人間にある、という事実を表したのです。(天聖経p819、32番)

▲TOP