永遠に自分が自分を信じ、自分が自分自身を望みとして、自分が自分自身を愛しながら、「神様、私の愛をお受けください。私の希望を御覧になってお喜びください。神様、私の信仰を御覧になって喜びください」という時、神様が「分かった!」と言うことができなければなりません。信仰を立てた目的がそれであり、希望を探す目的がそれであり、愛を慕わしく思う目的がそれなので、そのようになれば、そこで主に相まみえるようになります。そうして、その主と共に暮らすのです。(天聖経p817、25番)
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