「日本に我々が宣教事業を開拓したのが一九五八年です。一次は失敗、二次も失敗、三次にして入国し、大村収容所にいるという報告を受けた時には、「神様には何の考えもないのか。このように、あなたのみ旨の道を開拓しようとしているのに、そこまでしなければならない神様なのか」と、いくらでも恨むことができるのです。けれども感謝して、再び神様を迎えて、「また行こう!」と決意したのです。そのようにして誰も知らない中で道を開き、支援しようとして資金を送ったのに、資金は全部どこかに行ってしまいました。」(真の御父母様の生涯路程3)