真の父母を木で考えれば、皆さんは枝です。この枝は、どこに差してもよく生きます。この枝は、どこに行っても、愛さえあれば夜に差しても、昼に差しても、冬に差しても、春に差しても、梅雨時に差しても、それに関係なく、よく生きるのです。分かりますか? なぜ? すべてを受け入れるからです。我々も真の父母の路程を歩むだろう、そうじゃないですか? 我々が、今は木の枝のようになっていますが…。同じです。「私」もこれから根を下ろし、トランク(trunk) になって、枝を伸ばし、花を咲かせ、実を結ぶのです。(天聖経)
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