「体恤」という言葉は、「体」と「心(りっしんべん)」と「血」から成り立っています。ですから、「体恤」というのは、心情を経験することを意味するのです。人というものは、体験したからといって、涙が出て、悲しみを感じて、苦痛を感じる、そのような哀感哀楽を感じることはできません。しかし、この心情の体恤には、そのような内容があるというのです。すぐに涙と通じ、悲しみと通じ、苦痛と通じ、喜びと通じる内容があります。ですから、体恤の生活は、涙と直結し、悲しみや苦痛というものがすべて直結します。それでは、心が高潮し、心が大きく感動するものとは何でしょうか。それは、真の愛以外にはないというのです。(氏族的メシヤと天一国創建p80)