皆さんも皆さんを思ってくれる人を訪ねていくでしょう。神様も同じです。その神様を占領できる道は誰よりも神様を思い、神様のために奉仕しようとするその人を中心として神様は訪ねてくるのです。皆さんは現在どこにいますか。昼も夜もいつも、どこに行っても先生と共に歩調を合わせて生きていますか。今まで先生はこの頭をもって生きてきたのではありません。神様と共に神様が行く方向に歩調を合わせながらすべて、生命をすべて投入して生きてきたのです。(天聖経p983)
文総裁を尊敬して追慕する理由は、雨が降る暗雲の中でもその背後に燦爛たる太陽が存在しているように、一生の間真の愛で天の道を黙々と歩まれ、与え、また与えて与えたという事実、そうでありながらもそれ自体を忘れてまた与える、ために生きる哲学で、世の中を明るくして下さったからです。世の中の暗雲の中でも太陽が存在するという希望の人生を見せてくれたからなのです。「聖和1周忌 追悼の辞より(仏国寺 住持 性陀)」