2013年11月29日 今日のみ言

先生は、この道を歩んできながら、激しく打たれました。考えてみれば無念です。無念なことがある時には、すべてを取り替えてしまいたい思いがする時もあります。しかし、神様を考える時は、怨讐がかわいそうだというのです。この怨讐に対してまだ未練があり、この者たちを愛さなければならないと希望をもってきた神様の姿を考える時、慰労してさしあげざるを得ません。子女が打たれて帰って時、涙を流されていた父の恨を解いてさしあげなければならない道が忙しいというのです。(天聖経、第三編p361)

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