神様が、真の愛に背いて怨讐の懐に抱かれた人間に対して、「私の息子よ、私の娘よ!」と切ない思いで叫んでこられたのですが、そのような父に対して、喉がかれるほど「私のお父様!」と叫んでことがありますか。舌が渇き、息が詰まりながら切実にお父様を呼んでみたことがありますか。堕落した群れは、神様に対する何の内容も備えることができませんでした。私たちのあらゆる感情と五官の作用は、すべて世俗的なものです。本然の神様に対するものは一つもありません。公義の法では、神様に対するものは全くありませんが、ただ一つ、愛の法をもって向き合う道があるのです。(平和経p1554)